本文へ移動
地震M8.1

昭和三陸地震・津波(1933年)

1933 Showa Sanriku Earthquake

記事更新日: 2026-04-09

📅 1933年3月3日(金)📍 岩手県・宮城県・青森県三陸沿岸👥 死者 3,064人

💰 経済的損失: 当時推計(詳細不明)

概要

1933年3月3日午前2時31分、三陸沖を震源とするM8.1の地震が発生。最大波高28.7m(岩手県綾里湾)の大津波が三陸沿岸を襲い、死者3,064人を出した。1896年の明治三陸大津波から37年後に同地域を再び津波が直撃。「また来る」という津波の繰り返し性を示し、高台移転の機運が生まれたが、戦争の影響もあり対策は不十分なままで2011年に三度目の惨禍を招いた。

被害の状況

死者・行方不明

3,064人

死者 3,064人

建物被害

全壊流失約7,000棟

岩手県を中心に甚大な被害。綾里湾で最大28.7mの波高を記録。漁船2,100隻以上が流失・沈没。死者・行方不明者合計3,064人。

被害数値は掲載資料の集計時点・対象範囲による記録です。推計を含み、後の公表で変わる場合があります。

ライフライン被害

電信・電話の切断、道路・鉄道の損壊。深夜発生のため初動が遅れたが、沿岸警備隊が迅速に活動した。

原因・背景

三陸沖アウタライズ(海溝外側)を震源とする正断層型地震。深夜の発生で住民が就寝中だったが、1896年の教訓から「揺れたら逃げる」を実践した住民が多く、死者を比較的少なく抑えた。

当時の社会状況

昭和恐慌の最中で三陸地方の漁村は経済的に疲弊していた。1896年・1906年の津波を経験した高齢者が率先して避難を呼びかけ、教訓の継承が被害軽減につながった。戦後は岩手県が高台移転を推進したが、利便性から再び低地に戻る住民も多かった。

📖この災害が残した教訓

  • 1

    1896年の教訓を知っていた住民は素早く避難し、命を救った。教訓の継承が生死を分けた

  • 2

    37年という短いサイクルで同一地域に大津波が繰り返した。「過去に津波が来た地域は必ずまた来る」

  • 3

    この地震後に高台移転が一部実施されたが不十分。2011年東日本大震災で同地域が再び被災した

  • 4

    深夜の津波は特に危険。就寝中でも揺れを感じたら枕元の懐中電灯をつけてすぐ高台に逃げる

  • 5

    アウタライズ地震(海溝外側の地震)は通常の地震より津波の到達が遅れる場合がある

✅今日からできる備え

  • 過去の津波碑がある地点は「ここまで津波が来た」という目印。その高さ以上の場所に避難する

  • 深夜の地震に備え、懐中電灯・スリッパ・ヘルメットを枕元に置く習慣をつける

  • 高台移転・住宅の高台立地を検討する。「住みやすい低地」は津波時に最も危険な場所でもある

  • 1933年の教訓を活かして制定された津波対策関連法の内容を確認する

  • 地域の防災訓練に参加し、避難ルートを体で覚えておく

🏠【広告】住まいの保険を確認する

SBIの保険比較インズウェブ(SBIホールディングス株式会社運営)

住宅火災・自然災害による建物被害への備えは、防災グッズだけではありません。火災保険の見直しは、住まいの損害への備えの一つです。

  • ✓火災保険の一括見積もりサービス(利用無料)
  • ✓SBIホールディングス株式会社が運営
  • ✓水災・建物・家財など、必要な補償と対象条件を確認
  • ✓地震・噴火・津波による損害には、火災保険とは別に地震保険の確認が必要

補償の基本:財務省・地震保険の説明。加入条件や補償範囲は契約先で確認してください。

※ 当サイトはアフィリエイト広告(A8.net / ファンコミュニケーションズ株式会社)を掲載しています。掲載内容は編集部が独自に選定しています。

出典・参考資料

  • ▶内閣府 災害教訓の継承に関する専門調査会 1933昭和三陸地震津波報告書
  • ▶気象庁 日本付近で発生した主な被害地震
  • ▶岩手県 東日本大震災津波の記録